江藤のプロフィール

Seiya Eto's profile

簡単なプロフィール年表

2011年

学生時に起業

大学生の時にフリーランスデザイナーとして起業

・・・しかし、下請け業務の毎日と忙しさで、当初の起業像とは違うことに苦しむ。

2012年

自己表現をビジネスに

メルマガをはじめとしたマイメディアでの情報発信ビジネスを開始。ビジネスモデルの可能性と魅力・やりがいを感じながら、開始3ヶ月で月5万円の副業収入、半年で売上100万円を達成。法人化を行う。その後、培ったスキルを武器に、様々なビジネス展開をスタート。

2013年

LPテンプレート「カラフル」開発

システム開発販売事業として、自身初のコンテンツLPテンプレート『カラフル』」をリリース。おかげさまで記事作成時現在、4500を超える個人・法人のユーザーが利用し、今もコンスタントに販売を伸ばすロングセラー商品に。

また、法人1年目で年商3500万円を達成(社員は僕1人)。

2014年

ユニーク性のあるビジネスに挑戦

売上のみならず、ユニーク性を重視したビジネスを同時展開。

例えば、趣味のランニングをビジネスにしたいと、ランニング×ビジネスコミュニティを発足し、メンバーとハワイのホノルルマラソンを完走。

さらには、仲間と演劇劇団を設立運営し、スタジオアルタにて史上初のロングラン公演を主催(ちょっと出演も)。6日で1000人以上の集客動員に成功。(現在は仲間が運営をしてくれています)

2016年

トレード・個人投資を展開

投資金融の分野へのビジネス同時展開を開始。FX・株・商品における短中期トレード、またフィリピン、バングラデシュなどの海外不動産投資を展開。

 

またライフスタイルとして、

日本を離れ、海外を転々とする生活を開始

今後もビジネススタイル・ライフスタイルともに「脱固定ライフ」を実践・提案していきたいと考えています。

こんにちは、江藤誠哉です。

このページでは、僕自身の簡単なプロフィールと

過去のちょっとした物語についてお話ししたいと思います。

 

 

僕、江藤は「固定概念を超えた先に、新しい世界がある」

『脱固定ライフ』という価値観、ライフスタイルを実践・提案しています。

 

 

大学の時から起業し、

現在は、ライター・クリエイター・ビジネスコンサルタントとして、

Web上で情報発信しながら色々な企画運営をする傍ら、

個人・法人コンサルやプロデュースなどを行っています。

  

また、こっそりと音楽制作も行っていて笑、

京都地下鉄の予告音に僕の作った音楽が使用されていたりします。

 

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、、とまあ、こんな風に言うと、

「学生の時から起業ってすごいね!」とか

「音楽もできるんだ! 多彩だね」などと

少しちやほやされるのが常なのですが、

 

僕の人生は、一言でいうと、『逃げ』

ずっと逃げてきて、今でもなお逃げ続けている人生なのです。

 

 

ここで少しばかり、僕の逃げ人生について、

お話させていただければと思います。

 

 

また、1つのテーマで自分の人生を語ることって結構面白いので、

もしよければ別途、ご自身でやってみてください^ ^

 

 

 

逃げて逃げて逃げて、逃げ人生の日々

 

さて、

僕は、母親は歌手、父親は彫刻家という、芸術一家に生まれました。

なので、子供の頃から「自分のことを表現する仕事をしたい」となんとなく思っていました。

 

そんな中、

中学生の時に1つ目の「逃げ」が始まります。

 

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中学生のときに、バスケットボール部に入部しました。

中学のバスケ部は、1回戦敗退くらいの弱い部で、人数も少なかったこともあり、

僕は下級生のころからレギュラーでベンチ入りしたりと、そこそこの実績を残していました。

 

 

先輩が引退し、僕らが引っ張る代になったときに、

必然的に僕には期待がかかっていました。

 

 

普通は、その期待に答えようと、

頑張って練習をして上達しようと思うはずなのですが、

 

当時は、その期待がプレッシャーとなってしまい

(もしかすると、人生で初めて人から期待を受けた機会だったかもしれません)

僕が無意識にとった行動は、「もっと自分の環境を追い込もう」というものでした。

 

 

まず、食事をほとんど取らない。

ご飯等の淡水化物は食べないという、今思うと意味の分からない食事制限。

そして、部活の時間とは別に、一人でトレーニングメニューを組み、

プールで水泳をしたり、走り込んだりと、さらに肉体的に自分を追い込みます。

 

 

そうすることで、

「ここまで頑張っているんだから、現状を維持できるパフォーマンスさえ出来ればいいだろう」

と、『上に上がれない理由』を無意識に作っていたのです。

 

もちろん、当時は意図的にやっていた訳ではなかったのですが、

今思えば、そう思います。

 

 

当然、そんな状態を続けていると、

やせ細り、筋肉も衰え、かなりやばい状態になってしまい、

バスケとかそういうレベルではなくなっていきました。

 

 

また同時に、精神的にかなり追いつめられている状況に陥り、

食べるのが怖くなっていってしまいました。

 

今思うと、意味が分かりませんが笑、本当に心身ともにやばい状態でした。

結果的に、病院に通いながら、少しずつ食べれるようになり、回復しました。

 

 

しかし、栄養不足により臓器の機能が衰えていたことが一因で、

慢性盲腸炎となり、その後2度の入院をしてしまいました。

 

 

これらの原因は、全て、プレッシャーからの『逃げ』でした。

 

しかし、この件によって、

食や健康への意識が高くなり、食にこだわるようになったし、知識も増えました。

 

今でも献立をみただけで、約何カロリーか、

どのような栄養素が含まれているかを、大体ですが、理解できます^ ^

これは現在の生活に活かせています。

 

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その後、体力も戻り、中学の部活も再開できました。

そして、バスケは好きだったので、高校生になってもバスケ部に入部。

部活に関しては、高校はとても充実した3年間でした。

 

 

 

しかし、高校でも第2の逃げが発生します。

 

高校2年生の時に思春期のせいか、ニキビが顔にできるようになってきました。

 

今思えば、別に対した事はないのですが、

当時は年頃だったので、かなり気にしていました。

 

ニキビができても、堂々としていればいいものの、

僕にはそれができず、逃げ癖が発生してしまいます。

 

僕は、そのニキビを隠そうという発想になり、

男性用のニキビを隠すクリーム(女性のコンシーラみたいなものです)を

塗って、隠すようになってきました。

 

 

しかし、女性でニキビが出来る人は分かっていただけると思うのですが、

ニキビに化粧をしているようなものなので、逆に悪化してしまうんですよね。

 

それをさらに隠さないといけないので、

どんどんエスカレートしてしまい、ニキビもひどくなっていきました。

 

 

また、ニキビがあることで、自信もなくなり、

ニキビのひどい日は学校に行けないということもあり、

1週間くらい学校にいかない日もしばしば・・

 

本当にこれも今思うとバカらしい話です笑。

 

 

今では克服しましたが、

以前は「ニキビ」というフレーズが、文章や話に登場すると、

過敏に反応してしまう自分がいました。

 

かなり怖かったんだと思います。

 

 

しかし、この逃げのおかげで、

女性が化粧をするという感覚と気持ちが結構理解できます。

 

男性でこれが理解出来る人は、結構少ないと思います笑。

 

 

さて、話を戻しますが、

ニキビに関する第2の逃げと平行し、

 

 

 

第3の逃げが始まってしまいます。

 

無事に大学に入れたのですが、

大学1回生の時に、高校とは違う環境だったため、

ひどい虚無感に襲われ、その環境から逃げようと、

3ヶ月あまりほとんど学校にいかなかくなりました。

 

1日中、ただパソコンで動画を見たりとか、

ゲームをしてみたりとか、生活リズムもがたがたでした。

 

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「なんのために生きているのか」

それがよくわからなくなり、「死のう」と本気で思っていました。

 

 

「どれが一番楽に死ねるだろう?」と

自殺の種類についてネットで調べていたりしていたこともあります。

 

本当に世界が狭かったですね。。。

 

 

しかし、あるきっかけで、

この逃げから、脱出し、更に逃げることになる(笑)

僕にとって原点となる出来事が起こったのです。

 

 

 

僕の人生のターニングポイント

 

ふとしたきっかけで、

ニューヨークの郊外で農業をしている、ある日本人の方を知りました。

 

家族で無農薬の農業をされておられ、

ゲストハウスで、宿泊できるような取り組みをされているということでした。

 

僕は心に決めて、その方のところへ3週間滞在することにしたのです。

 

 

ニューヨークといっても郊外なので、

都市部とは車で3時間ほどかかる場所にあり、周りは緑しかないという環境です。

 

そこで、3週間農業を手伝いました。

 

 

そして、その内の5日間だけ、

ニューヨークの都市部とカナダに小旅行することにしました。

 

ニューヨークのブロードウェイで

ビル1面に広がる動く映像広告を見た時に、僕は衝撃を受けました。

 

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まるで近未来にきたかのような、

想像を絶する光景に、圧倒されてしまったんです。

 

『えー?そんなことで?』とあなたは思うかもしれません。

 

 

しかし、僕は今まで、

自分の世界は下宿先のマンションの1室でしかなかったのです。

 

マンションの1室で送っていた人生が、

1歩踏み出せばこんなにも世界が広がる

ということに身も震えるほどの感動を覚えました。

 

「1歩踏み出せば、全然違う世界がある!!」

この出来事が、今の僕の「脱固定ライフ」の価値観を形成している

といっても、過言ではありません。

 

 

 

それからは、

自分に興味のあることに飛びついて、色々なことをやりました。

 

母が歌手であることも原因を1つとなり、

音楽の作曲と打ち込みがしたかったので、

ゲーム制作サークルに入り、ゲームBGMを作りました。

 

 

この経験のおかげで、冒頭でもチラッとお伝えしましたが、

今現在、京都地下鉄の予告音に僕の音楽が使用されています。

 

 

あと、この時期に「ビジネス」にも興味をもつようになり、

ビジネス系の学生団体に入りました。

 

その団体で、社会人の方とお話したり、ビジネスコンテストの運営をしたり、

チラシやHPのデザインをさせてもらったりしました。

 

この頃に、デザインをすることの面白さを発見して、

それがフリーランスのデザイナーとして起業することになったのですから、

人生不思議なものです。

 

 

また、発達障害や不登校の生徒の家庭教師のバイトで頑張って、

その年の優秀講師に選ばれたりもしました。

 

とにかく、今まで何もしていなかった分を取り返すかのように、

必死に何かをやっていたという感じです。

 

でもあの必死さは、結構大事だったと思います。

 

 

そんな中、大学3年生の就職活動の時期になりました。

 

しかし、両親も芸術家で、周りにもサラリーマンの人が少ない上、

就職のイメージも湧かなかったし、

僕の中では「毎日朝早くに起きて、通勤列車に乗る」という行為が

いやでしかたありませんでした。

 

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ずっと、環境から逃げてきた僕には、絶対に向いていないし、まず無理だ。

それに、全くやりたいと思わない。

 

そう思った時に、もう一つの選択肢を選ぶ事にしました。

「起業しよう!!」

そう思い、3回生の時から意識的に起業に向けた活動するようになりました。

 

 

 

「起業」

 

この選択は、自分で『逃げ』だと思っています。

 

今まで、ずっと逃げてきました。

逃げるということに、ずっと罪悪感と閉塞感を味わってきました。

 

しかし、今回選んだ『逃げ』は、

今までの『逃げ』とは違う、前向きな『逃げ』だったのです。

 

どちらかというと、逃げるというよりは、

『周りの環境が決めていたレール=「枠」から脱する』って感じでした。

 

 

なのでよく、

「学生から起業したなんてすごいですね!」って言われたりするのですが、

決してすごいものでもなんでもなく、

ただ、消去法として出てきた選択肢にすぎませんでした。

 

 

僕は到底会社員にはなれないし、

逆に、毎日通勤している友人の話とかを聞いていると、

本当に凄いなって心から思います。

 

 

 

起業の理想と現実・・・

 

さて、大学3回生から始めた起業活動は徐々に形になっていき、

大学4回生になった春に、デザイン制作事業で開業しました。

フリーランスのデザイナーとして仕事をするようになったのです。

 

当時のオフィス。 カメラマンの方と2人でシェアしてました。

当時のオフィス。
カメラマンの方と2人でシェアしてました。

 

 

そんな一見華々しい「起業」ですが、開業当時はかなり悩みました。

 

最初は、月々のお金のことで頭がいっぱいで、

何でも仕事を受けるスタンスでした。

 

下請けの仕事ばかりで、納期に迫られる日々。。

 

「全然自分らしさを出せていない。」

こんな感じで本当にいいのだろうかと思ったものです。

 

そんな時には、

「仕事ってそういうものだ。」

そういう風に自分に言い聞かせていました。

 

 

しかし、あるきっかけから

実はそれらは自分が無意識に思っている固定概念

だということに気づいたのです。

 

 

 

 

それからは、

下請けの仕事は、よほど親しくしている方だけ担当し、

それ以外は、僕がやりたい仕事であるものだけに絞り、

さらに、自分のビジネスの収入基盤をつくることに専念するようになりました。

 

こうした時間がきっかけとなったことで、今の僕があるというわけです。

 

 

今ではパソコン1台あれば

カフェでも旅行先でも、どこでも仕事ができるし、

日本より海外にいる時間が圧倒的に多くなりました。

 

また収入も一般的なサラリーマンの数倍は得れるようになりましたし

1ヶ月パソコンを一切つけなかったとしても

生きるだけの収入が入ってくるようになりました。

 

 

僕はそんな自分の職業を

「自己表現」をして収入を得る職業だと思っています。

 

自分のことを主張して表現する前は、周りの人の反応を恐れていたものだけれど、

いざやってみると、何のことはなく、

むしろやってよかったと思えるものだと感じました。

 

そして、自己表現をすることで、仲間も増えました。

僕自身、表現することで本音を言えるようになったから、

本音を言い合える仲間ができたのです。

 

 

こんな、引きこもっていたような、

逃げてばかりだった僕でも、世の中に価値を提供できる。

それを僕自身でこれからも証明していきたいし、もっと面白い生き方をしていきたい。

 

こんな生き方があるっていうことを通して、

今社会になじめなかったり、1歩が踏み出せなかったり、

自分のことを押し殺してしまったりしている人に、何かメッセージを送りたい。

 

そして何より、

「自分らしいライフスタイル」は望めば必ず叶えることができる。

これを僕の生き方を通して伝えていきたいと思っています。

 

 

そんな僕が、生涯をかけて、伝えていきたいこと。

 

それは、

固定概念を超えた先に、新しい世界がある。

ということです。

 

それを僕は「脱固定ライフ」と呼び、現在実践・提案をしています。

 

 

また、その上で、自分の経験を踏まえて

「逃げ」は時に前向きな選択肢になるということも

僕が伝えたいことの1つとなっています。

 

そんな『脱固定ライフ』とは何か?、についてはこちらをご覧ください。